「自分を癒したい」と思ったときには

私たちは普段から、スマホや電子機器を常に携帯し、それらたくさんの情報の中で生きています。数えきれないほどの多くの情報に溺れ、その中から取捨選択をするように頭を使っている毎日。

なんだか疲れてきたな・・
思考がまとまらない・・
そんな気持ちが襲ってきたら、少しの間、スマホやSNS等から離れるようにしています。

スマホをいじっていると、気づいたら縦スクロールをし続けて、あっという間に1時間以上が経ってしまうことってありますよね。
見逃していた番組や、面白い切り抜き、「これ前に見たことがあるな」と思っても、何だかまた見てしまう・・。そういった時間って、積み重ねるとすごく大きくなるのだけれど、ついつい見ちゃうんですよね・・。で、見た後でいつも後悔する・・。

何かを待っている時間も、何かをしている時も、常にスマホの情報を意識している習慣がついてしまっているので、自分の心が休まる暇はないのだけれど、それでも見るのが癖になっていました。でもある時、何も考えたくないな・・。疲れたな・・。という感じになることがあって、自分と対話する時間や心を休める時間を作りたいと思うようになったのです。

そこで、自分自身の心に空白の時間を持つために、私がしていることをいくつかまとめてみました。

神社に行く

50歳になった頃から、神社に行く機会が増えました。きっかけは、数年前から主人が休みの時に神社に行くことが増えたため、ドライヴしながら行くことが増えてきました。最初は「また??」という感じについていっていたのですが、主人から色々と教えてもらいながら通っていくうちに、定期的に色々な場所に行くようになりました。

不思議なもので、神社にいった後は、いつも気持ちがすーっと軽くなるような、清々しい気持ちになるんです。頭の中でごちゃごちゃと考えていたこと、モヤモヤと悩んでいたことがすーっと消えていくようなそんな感覚に近いかな。

それから神奈川の神社を中心に少しずつですが回っていくようになりました。私たちがよく神社に行くので、高校生の息子からは「また行くの??」と言われています(笑)

海辺を散歩する

神奈川の江ノ電に乗って、海に行くこともあります。お気に入りは「七里ヶ浜」の海岸。海が綺麗で、駅からも近いので、疲れが溜まってどうしようもない時に、1人で行くこともあります。周りが家族づれや仲間と来ていても気にせず、1人でぼーっとしています(笑)

海辺で裸足になって、波打ち際を歩くと、本当に気持ちがいい!!!
もう、なんというか、嫌なことや悩みごととかが、海の水と共に流されていく感覚。頭がクリアになって、心もすっきりとして、水色の海と白い砂の上に立っているだけで、自然と一体化しているような最高の気分になれるお気に入りの場所です。海辺に人気のカフェ等もありますよ。

とにかく寝る

疲れてしまって何もやる気がおきない、自分らしくいられない・・というくらいに疲れきっていたとき、とにかく寝ていました。寝ても寝ても眠くて、起きていても今までのようなエネルギーがわいてこない自分が嫌だったので、どうしたらいいんだろうと思ってもそれをやる意欲が出てこなかったんです。その頃は本当に寝ている時間が多かったことを思い出します。

マッサージに行く

マッサージの中でも私は特に「アロママッサージ」が好きなので、疲れがたまっていて自分を癒したいときには、アロママッサージに行くことがあります。その日の体調によって、お気に入りの香りが変わるので、自分の体調のバロメーターにもなります。アロママッサージをした後は、リンパの流れも良くなっているので、体も軽く軽快になります。

部屋にお花を飾る

お部屋にお花を飾ると、とっても癒されませんか?私はいつもお花を飾っているわけではないのですが、疲れている時にお花屋さんに行って、自分の直感で「これ!」と気になったお花を購入するようにしています。その時の気分によって選ぶお花の色も種類も違ってくるから不思議です。

お部屋にお花を持ち帰って、フラワーベースに飾る。そしてそれをリビングテーブルの上に置いたり、キッチンに飾ったりすると、不思議とその周辺を片付けたくなるので、自然と部屋もスッキリ。

お花の力で、心が癒されていくことを実感できますよ。

猿田彦神社には

徒歩にて行くのに、

お腹が空きすぎてしまい、

めまいで倒れそうだったので、

おかげ横丁にておぜんざいを頂き

腹ごしらえしての猿田彦神社へ!

おかげ横丁では絶対におぜんざいを

伊勢神宮、猿田彦神社へのお参りは、

実に6年ぶりのことでした。

そうそう、初めての猿田彦神社参拝は、

こちらの神社参拝は予定に入れて

いなかったのですが、

何度も帰り道、道に迷い、

猿田彦神社に引き戻されてしまうのです。

ナビがあるのに・・・汗

結局「ね?ここ参拝しなさい

ってことじゃない?」と思い、

初めて立ち寄ったのが最初の年。

それからは必ず参拝ルートに

入れることにいたしました。

猿田彦大神

猿田彦大神は、

ものごとの最初に御出現になり

万事最も良い方へ“おみちびき”になる大神で、

古事記、日本書紀などにも

「国初のみぎり天孫をこの国土に啓行

(みちひらき)になられた」

伝えられています。※引用

簡単に言うと、人生の道案内を

してくださる神様ですね。

さて今回の参拝は、

最も心が整った状態での

参拝のような気がしました。

浮足立った気持ちもなく、そして、

しんどいな~、つらいな~

という気持ちもなく、この度の参拝は、

自分のミッションとしていたので、

強風と寒さの中でもなんのその!

ただただ自然に同化しつつも、黙々と歩く。

そして、人間ウォッチングもいたしました。

初詣でもなく、この上なく寒い日でもあり、

そして平日の火曜日なのにこの人数・・・

すごい人数の方々が参拝にいらしていました。

1月だからなのかな・・・

中には杖をついたご年配の方々を

たくさんお見かけいたしました。

正式参拝をする人々の長蛇の列。

老若男女が皆、参拝のために黙々と歩く姿。

若い方々もちゃんと参拝のマナーを守り

背筋を伸ばして手を合わせている姿を

見たときに、日本人の信心深さを

垣間見た気がいたしまして、

まだまだ日本も捨てたものではない、

という気持ちになりました。

猿田彦神社で出会えたらラッキー!幸運を呼ぶ白猫のなみちゃん

平安時代から鎌倉時代を生きた

真言宗の僧侶、西行という人が伊勢神宮を

訪れたときに詠まれた歌があります。

畏れ多いのですが、私の心境を表すのに

ぴったりだと思ったのでシェアいたします。

何事の おわしますかは 知らねども 

かたじけなさに 涙こぼるる

いろんな訳がありましたが、

私なりに解釈しますと、

どのようなお方(神様)がいらっしゃるかは

わかりかねますが、ただただ畏れ多く

ありがたくて涙があふれこぼれます

神社のことは詳しくなくて、

僧侶のような高貴な存在では

ありませんが、しかしそんな気持ちに

させてくれる伊勢神宮でした。

私の幼少期は、誰に言われずとも

信心深さというのがありました。

神様には手を合わせる習慣です。

まるでエフェクトかけたような数々の虹の玉

親も祖父母も信心深さというのは

なかったと記憶していますが、

田舎なので、最低限の御神事は

行っていましたので、その中で

育った人々には神に手を合わせることは

体に染み付いているかのようです。

子供の頃からそれを行ってきました。

子供なりに、神様との対話をし、

そして小さな小さな神社が近くにあり、

小学校の通学路にも神社があり、神社の周りを走って鬼ごっこしたり、

田舎の大人たちもまた

神社マナーなどもよく知らず、

神様に失礼なことが何か?

なども教えてもらえませんでした。

だからか、神様は大切なお友達、

くらいに思っていて、いつも

悩み事を相談したり、

お願いごとをしていました。

そこで、友達と遊んだり、

春と秋のお祭りも、母と一緒に行く

元朝詣りも、初詣も神社だったな、と

大人になってから思い出しました。

私は20代、30代と御神事から

離れていました。今思えば、

その期間はまるで神様に

不義理をしているかのような

そんな期間でした。

だからなのか、偶然かわかりませんが、

人生も底辺。生きづらく、

人間が壊れていた期間でした。

50代になってからは、

少しずつ生まれたときの環境に

戻っていく感覚があります。

私は神と共にある、という感覚。

私にとって神様とは形容し難いのですが、

自然に近いもの。

温かく、大きく、寛容で寛大で

いつも在る、居るお方という感じです。

うまく説明できませんが、

やはり、子供のときに感じていた

温かくて優しくて大きな存在なのです。

もう少し勉強しなきゃですね。

来年になるか?

今年になるか?はわかりませんが、

次に伊勢神宮参拝するときは、

正式参拝をしたいな、と思いました。

宮城から伊勢に行くまでは

今回のワーク

自分を癒すためにできそうなことなありますか?

ぜひ3つ書いてみてくださいね

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